ども!

雇われるという働き方をもう一度してみようかと

真剣に悩んでいるバウナーです!

 

あ、間違っても今休職中の会社に復職しようかな

という話ではないですよ(笑)。

最近連絡をとった後輩からも改めてイケていない

会社の現状を確認できましたし、これまでの経験で

自分にとってメンタルを病みやすい社風であると

わかっていますので、元の場に戻って勤め続け

るという選択肢は無いと感じています。

どう働くにしても心身の健康が第一ですからね!

 

では、なぜ一気にハンドメイド作家などに専念せず

会社勤めを再開しようか検討するかと言いますと。

ぶっちゃけますが、かなり面白い働き方の会社さんを

見つけて興味を持ってしまったからです(笑)。

業務内容に惹かれたとかじゃないあたり、純粋な興味

本意っぷりが表れていますね(笑)。

その面白い働き方を実現するために社労士さんにも

たくさん相談して法律を侵さないようにかなり気をつけ

ながら作った会社なんだそうで(笑)一般的な(?)

他の会社にはなかなかない個性がありそうです。

実際に働いてみないとわからないことも多そうなので、

もしご縁があったら・・・やれるだけやってみたいなと

思っています(笑)。

ご縁がないかもしれませんし、ご縁があって実際やって

みても試用期間でクビになるかもしれませんが(笑)。

 

その会社さんのお仕事は、実は自分にとってこれまでの

職歴で全然やったことがないとある専門分野です。

求人的には前提知識がなくてもOKとなっていますが

やるとなれば積極的な学びは必須ですし、慣れるまで

大変でしょうね。

身につければ間違いなくスキルアップになりますが、

試用期間でさようならになった場合は職歴にマイナス

要因がつくことになるでしょう。

でも、それでもいいと思っています。

実際に挑戦してみないと自分に向いているかどうかは

わかりませんし、あの会社受けてみればよかった・・・

と後々まで未練を引きずるのは嫌ですからね。

やろうかどうしようか悩むならとっととやるのです♪

 

何かをやりたいと思ったら、とりあえずやってみる。

ん? ・・・踏み出すのは怖い?

うまくいく保証なんて誰もしてくれない?

やってみたら意外と面白くないかもしれない?

やってみたら意外と大変かもしれない?

何かと忙しいし?

それでも、とりあえずやってみるんです。

だって、やりたいという気持ちに気づいてしまった

から(笑)。やりたいと思っているのに、うっかり

やらないという選択肢を考え出すとごちゃごちゃと

悩んでしまいます。が、やる選択肢しか考えなければ

どう工夫すればやれるか?しか悩むことがないので

すっきりします(笑)。

ついつい考えすぎてしまうというそこのあなたにも

この考え方、おススメですよ!(笑)

 

好きだから好き。

やりたいものはやりたい。

こんなシンプルなことなのに、どうしていつの間にか

わからなくなってしまうんでしょう。

探してもどこにも落ちていないし、誰にも教われない

ものなのに、見失いやすいから厄介です。

自分自身の姿を見るには鏡が必要なように、自分の

中にしかないものだから見えにくいんですかね?

鏡で見る自分ですらも、左右対称になっているから

正しく見ているとは言えないですし。

自分が他の誰でもない自分だという自己の感覚は

失くすことがないのに、何を求めて何を目指すの

かということになると他人から吹きこまれる他人の

価値観に惑わされがちなのは何故なんだろう。

これも日本の同調圧力のなんかが悪さしているの

かな・・・。

誰から何をどう言われようと好きなものは好きだ、

やりたいことはやりたいんだとまっすぐな気持ちを

堂々と言えるのが一番生きやすいと思います。

それに、それすら言わせない何かがあるなら、法律を

無視しない範囲でそれを無視するのが一番です(笑)。

特に自分と人との境界を見失って他人の領域にまで

土足で踏み込む人の言動からは全力で逃げましょう。

まともに受け取っていてもひとつも良いことないです

から。

自分は自分、他人は他人。

互いに尊重しあえるように気をつけたいですね。

 

そうそう、

誰かから意図的に侵害されないのはもちろんですが、

誰かから不可抗力的に侵害されるのも防ぎたいなと

思うワタクシなのです。

この表現でわかる人もいるかなぁ?

個人的に「不可抗力的に侵害されてしまう」と感じる

のは、近くに強い負の感情をあらわにしている人がいる

時です。特に、怒りや不満の表明などの攻撃的な感情は

影響力が強大できついです。純粋な恐怖を感じます。

そういう強い感情は、だいだいの場合、足音だけでも

伝わってきます。感情が音に乗ってくるというより、

感情の主が雰囲気から表情から声から足音にまでわざと

感情を乗せて出してくるというか。

勘違いしてはいけないのは、別に、怒りの感情自体は

抱いちゃダメなものではありません。怒りは人間の

自然な感情のひとつですからそれを否定する気はない

ですし、むしろ感情を持った自分を認識した時にその

自分を否定してはいけません。

特に子どものうちはそういう強い感情を言葉や音で表す

という行為も大事な自己表現の訓練ですし、大人になる

のに必要なプロセスでもあります。

 

勘弁してくれと思うのは、大人がむき出しの負の感情を

コントロールもせずにまき散らしている姿。

社会生活をするためにはそういう感情を公の場ですぐに

出さず、いったん横に置いておいて私的な場で処理する

という技術も必要です。公的な場で互いにそんな感情を

むき出しにしていたら、会社などでも頻繁に殴りあいや

口喧嘩が起きたり、最悪、大人の組織でも力が強い人が

権力を独占するという原始的な展開になってしまいます

からね。

人間は、暴力に頼る野蛮な種族じゃないんですよ。

でも、

攻撃的な感情をむき出しにする・・・つまりキレる人が

出現すると、もうその感情の主がその場の仮の支配者に

なってしまい、周りはその場にあるまじき存在に対して

呆れるか逃げたくなるか、何にしても平静な話し合いは

いったん諦めるしかなくなってしまいます。大人として、

社会人としての自覚がある人なら、間違っても応戦して

野蛮な展開にしようなどとは思わないですからね。

 

能力的に不可能なのならまだしも、キレるのも権利だと

勘違いしているのか、コントロールしようと本人が思い

さえすればできるはずなのにやる気がないという人だと

もう最悪です。

公的な場で自分の機嫌をとらない大人は、体は大人でも

大人の機微がわからない幼稚な人。

自分が幼稚なばかりに、周り中の感情まで逆なでたり

困らせたり怖がらせたりしていることを恥じることも

できないかわいそうな人。

自分が自分の機嫌をとれない未熟者であるがために、

周り中の時間とこころを搾取する迷惑な人。

残念ながらそういう大人は一定数います。

ワタクシにとってそういう人たちは、たとえ認知症

などの脳の機能障害で自分の人格が変わってしまった

としても「ああはなりたくない。」と思う存在です。

これを読んでいるみなさんにもそういう存在がいます

でしょうか。

他人のふり見て我がふり直せといいますからね。

ああはなりたくないという他人がいたら、こっそり、

でも遠慮なく反面教師にさせてもらいましょう!(笑)

 

ちょっと身近にいた反面教師のことを思い出し過ぎて

後半が愚痴っぽくなってしまいましたごめんなさい!

今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!

今日もあなたに読んでもらえてとっても嬉しいです。

素敵なあなたと出会えた素敵なこの世界にも感謝。

また素敵な明日を一緒につかみにいきましょう!s

 

では、またね~!