ども!
この記事を投稿したら
近くの川まで散歩に行っちゃるぜ♪と思っている
バウナーです!
普段自然を感じる機会が少ない環境に生きているので
川に行くと気持ちいいんですよ!
川の風が吹いているし、川の音がするし!(笑)
真っ昼間に行くと犬の散歩の人とかも少ないので
人が密な状況を避けたい時にも割といい感じです。
といっても
住宅街を流れる川なので全く人がいないという
シチュエーションに当たったことはないのですが、
たまたま
人がほとんどいないタイミングだった時には、
マスクを外してくつろいでいます。
今日はGWかと思いきや、谷間の平日なんですね!
人が少ないといいなぁ・・・(*’▽’)♪
そう、マスク。
そこのあなた、マスク生活についてどう思いますか?
ぶっちゃけしたくないな~とか、思いますか?
それとも、特に抵抗感とかはないですか?
個人的には、おそらくマスクが推奨されなくなっても
コロナ禍が過ぎても花粉やインフルエンザ流行期じゃ
なくても、外出時にマスクをつけるのはやめないと
思います。
元から強くない肌がマスクでさらに荒れたりするのは
悲しいですし、仕事などでほぼ毎日外出するとなれば
安い出費でもないですが、それでも、自分と自分の
愛する人たちのために、感染症予防と二次感染防止を
徹底していきたいと思うのです。
マスクをきちんとつけると、自分が感染しない以上に
自分から周囲に感染させない効果が大きいと聞きます。
無自覚・無症状でも菌やウイルスを持っているかも
しれないなら、自分が持っている悪いものを自分の
大切な人にうつしてしまう可能性は減らしておきたい。
大切な人が重症化して苦しんだり命に関わったりして
から「自分があの時マスクをしておけば・・・」と
考えても遅いからです。
でも、こういう感覚の人って、マスクそのものへの
抵抗感が低い日本人でも、あまりいないのかな?と
感じています。
電車やバスといった公共交通機関を使うと、必ず
見かけるのが鼻出しや口出しの状態でマスクを
つけている人です。お前の口はアゴにあるんかい!
ってツッコみたくなる(笑)。そういう人に限って
車内でも駅構内や道端でもおしゃべりしていたり
「俺、イケメンだろ?」って自分に酔ってわざと
顔を見せている印象も(偏見ですが/苦笑)。
そういう方々はきっと、感染症への危機感とか
感染症拡大を社会の一員として自分も担おうという
意識はあまりなくて、マスクが半義務な同調圧力に
屈して嫌々装着しているだけなんだろうな・・・と
感じます。
ノーズフィットワイヤーを曲げずに鼻回りの隙間が
ブカブカな人も似たイメージですね(苦笑)。
マスクというものが、その性質上、自己防衛効果より
他人への感染拡大防止の効果の方が大きいという
自分の認識が間違っていなければ。
マスクをしっかり装着する意味は、まず第一に
周りの人への配慮だということになると思います。
迷惑をかけない気遣いとか、そういうもの。
自分は別に感染してもいいからマスクなんてテキトーで
いいじゃんとか、そういうことではないんですよね。
でも本来、
気遣いって誰かに強制されてやることではなくて
あくまでも自主的に発揮するものだったはずです。
その気遣いを「ご協力お願いします」なスタンスで
社会が個々人に求めてくるというおかしな現象が
おきたから、人のこころが余計に乾燥してしまった
ように感じます。
人って、
自分の権利を侵害されたと認識した時のマイナス感情を
とても強く大きく感じる生き物なんですよね。
マスクを同調圧力や協力要請で半ば強制されていると
感じている人たちは、マスクをせずに外出するという
従来あったはずの自由を失った感覚が大きいのだと
思います。
法律で義務になったわけでもないのに着けなければ
白い目で見られて不快な思いをするし、着けたくもない
マスクを自腹切って買って経済的にも損失、汗や暑さや
肌荒れでも損害をこうむったり、マスクで良いことなんて
ひとつもないなという感覚かもしれません。
一方で、感染症拡大防止にみんな一丸となって取り組もうと
考えられる思いやりや気遣いの先立つ人たちは、自分が
マスクをしない自由を手放して身銭を切ってマスク生活を
「みんなのために」しているという感覚を持っている
ことが多いのではないかなと思います。
みんなのために自分は汗や暑さや肌荒れや経済的損失を
我慢してきちんと協力しているし、その自分の行動によって
感染症拡大が抑止されているはず。それなのに、周りには
マスクから鼻や口を出したりマスクを着けなかったりする
「我慢しない自由な人」もたくさんいて、その人たちに
よって感染症が拡大している気がするし、その無責任な
人たちのふるまいによって自分や自分の大切な人まで
感染させられる可能性が高まるという危機感も感じるの
です。
我慢しない人が大勢いれば我慢している自分が虚しい
と感じるし、マスクの「マナーがなってない」人によって
感染症をまき散らされているように見えることで安全を
脅かされる怒りや恐怖すら感じる人もいるでしょう。
だから世の中のためと暴走して自粛警察になってしまう
人まで出てくるのですね。
こうして、
マスクをきちんとする人もしない人もお互いを敵視する
ような、パサパサに乾燥した殺伐とした心境になる人が
増えているのではないでしょうか。
価値観の違いって、本来悪いことでは全然ないですよね。
なぜ自由を奪われなければならないんだ、自由でいたい!
未曽有の危機なんだからみんなで頑張ろうよ!
これって、どちらも全く悪くない考え方ですよね。
みんなちがって、みんないい(byみすゞ)です。
ただ、コロナ禍でのマスクのように価値観の違いが
可視化されてしまうと、価値観の違う人同士が接近する
ことで軋轢が生まれてしまいます。
目に見える価値観の違いを許容できずに、
権利を奪われる損失感から互いを否定しあってしまう。
これって、とても不幸だと思うんです。
この不幸ができるだけ生まれないようにするには、
価値観の違う者同士、不必要に近づかないように
互いに不快感を生まない距離を保つしかないような
気がしています。
家族であっても同じ会社の従業員であっても、
無暗に互いを否定し合わないためには
とにかく距離をとるしかないと思うのです。
少なくとも自分は、距離をとることでしか苦痛から
逃れることができませんでした。
鼻出し・口出しマスクやノーマスクがうようよいる
通勤電車も、夜の飲み屋さんからノーマスクで出て
くるおっちゃんたちも、対外的な部分くらいしか
コロナ対策をしようとしない会社の体質や考え方も、
咳がひどい日に出勤したり床に置いた荷物を人の
デスクや椅子の上に載せる同僚たちも、マスクを
外したまま休憩室で昼寝したり名ばかり除菌作業を
したり就業スペースを徘徊したりする先輩たちも、
自分にとっては苦痛でしかなかったんです。
それらから距離をとることで、ようやくまともに
息ができるようになった気がしています(苦笑)。
もっと感染症対策をしてくれと一社員に訴えられる
会社も同僚も、さぞかし煙たい思いをしていたで
しょうしね(苦笑)。
世の中には、ゴマンと会社がある。
きっと今の会社以上に自分に合う会社が他にある。
労働スタイルも多様化しているから、フルリモートの
仕事だって探せば見つかるかもしれない。
会社員にならず、自分で稼いでいく道もある。
だから、合わない会社と距離をおいても大丈夫!
ああ、自由って幸せ!
いまにとらわれず
自分に合った道を選んで進んでいくのは大事、
というお話でした(笑)。
あなたも、
今もし息が詰まっちゃいそうな環境にいるなら
あなたの酸素がいっぱいある環境を探して
飛び移ることを自由に考えてみてくださいね!
あなたがあなたらしく深呼吸できる毎日を
こころから応援しています!!
今回も最後まで読んでいただき
ありがとうございました!
あなたに読んでもらえて嬉しいです!
素敵なあなたと出会えた素敵なこの世界で
素敵な明日をまた一緒につかみにいきましょう!
では、またね~!
お散歩、行ってきま~す!(笑)
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