ども!

今日は何の祝日だ?憲法記念日?

・・・憲法ってなんだったっけ( ̄▽ ̄;)?と

残念な大人っぷり全開なバウナーです(笑)。

 

でも、

30云年日本で生きてきての率直な意見ですが・・・

「憲法がどんなものか無知でもわかるように説明せよ!」

って急に言われてパパッと明解に答えられる大人、

そんなに多くないよね?ね!?(同意を求めるな!/苦笑)

 

えー、そんなわけで(?w)、

気になったが吉時と思ってちょっと調べてみました。

日本弁護士連合会さんのHP

日本弁護士連合会:憲法って、何だろう? (nichibenren.or.jp)

こちらがとってもわかりやすかった!

(今回も何故かコピペでリンクが貼れている予感!!

 いまだに貼れる時とそうでない時の違いが

 わからんのです・・・!)

 

憲法というもの

 我々国民の権利・自由を守るために

 国(国家権力)に制限をかけるもの

って感じらしいです(あくまでもバウナーの理解ですが/笑)。

真逆なのが法律で、法律は

 社会秩序の維持のために

 国民の権利・自由を強制的に規範するもの

だそうです。

へぇ、そうだったんだ・・・!(レベルアップ!?/苦笑)

 

憲法のベースにあるのは「徹底した恒久平和主義」で、

これは「第二次世界大戦への痛切な反省」から来ている

・・・とな? ふむふむ。

敗戦国日本の憲法をアメリカが作ったという言葉には議論が

あるようですが、日本人が新しい憲法を作るとなると何故か

それまでの明治憲法と大差ないものができてしまいそうだった

という経緯(なんか想像つくよね/苦笑)もあったとかで、

天皇制を残した新しい憲法の制定を急いだGHQの草案を

半ば脅すように日本政府に受け入れさせたらしいです。

ふむふむ。

・・・このへん、常識だったらすみません。

もうバレバレかと思いますが、バウナーは小学生の頃から

社会科全般が超絶苦手だったので授業でやっていることでも

全然記憶に残っていないという一点において、ものすごい自信が

あります!(そんな自信はいらん!/苦笑)

もし同じように社会科の部分で記憶喪失を起こしている人は

バウナーと一緒に一つ賢くなりましょう(笑)。

 

「第二次世界大戦への痛切な反省」、ここには

どのような意味や思惑が込められているのでしょうね。

最近もロシア・ウクライナのニュースでカミカゼドローンという

自爆タイプのドローン兵器が紹介されていてそのネーミングに

嫌な気分になったりしましたが、天皇陛下への忠誠の元にみんなで

自滅作戦が実行できて(強制されて?)しまった恐ろしい国が再び

生まれないように、という意図はあるような気がしますね。

事実として、GHQの草稿の3本柱

 ・天皇は国家の元首(天皇制を廃止しない)

 ・戦争放棄

 ・封建制度の廃止

となっていた、とのこと。ふむふむ。

アメリカ以外の国は天皇制を廃止すべきという論調も強かった

そうですが、アメリカは半年ほど日本を占領している間に

「日本の天皇制の特殊性や重要さを理解した上で天皇制を

無くしてしまっては日本を占領統治できないと思ったそうで。

占領統治するには天皇という国の中心がいた方がやりやすい

と踏んだ・・・ということでしょうか。そう考えると、

なんだかアメリカの占領統治前提で人質を置いているようで

敗戦国の悲しみ・痛みがにじみ出ますね・・・。

 

さてさて、ここまでザクっと調べてみて、自分事として気に

なることが。

少し前ですが、

安倍前首相がしきりに憲法改正を唱えていましたよね。

あれって実際どうなのかってことです。

憲法の根っこの一つにあるのが「戦争放棄」で、

安倍の改憲の目的は国民に戦争をさせることだ!という

意見も多かったと思います。

自分も「安倍さんは日本を戦争に参加させたいのか?」と

感じていた一人です。

ですが、

ロシア・ウクライナ間の争いに関する報道を見ていて

どんどんわからなくなっています。

戦争に参加するって、どういうこと?

戦争に参加しないって、どういうこと?

 

国が戦争を起こせば、様々な形で国民に影響が出ます。

徴兵されて戦地に行くことだけではなく、経済的に混乱

したり冷え込んだり、今回のロシアのような攻め方を

されれば一般市民でも安全を・命を奪われることに

なります。

一般市民が脅かされているとわかっているのに、

「うちの国は戦争に参加しないので」という理由で

被害者たちを助けないのが、あるべき姿?

防具や食料など攻撃に直接寄与しない部分だけに絞って

支援すれば戦争に参加していないことになる?

その支援が戦況の泥沼化を招いていても?

では金銭的支援は?

情報提供は?

避難民の受け入れは?

米軍事基地に貴重な土地や莫大な予算を提供しておいて

アメリカの攻撃や軍事支援に貢献していないと言える?

何もかもを完全に鎖して、他国からの干渉も一切受けず

他国への干渉も一切しない・・・そんな国、現実的に

地球には存在しえないはずです。たとえ物流を断って

情報を遮断したとしても、海・大地・光・空・空気が

必ずつながっていて、全くの不干渉などありえないから

です。

何をどう言いつくろったところで、

何かしらがつながっているこの地球のどこかで起きる

戦争・紛争・虐殺・迫害・差別・飢餓・天災・・・

そういったものと、無関係ではいられない

大なり小なりすべてがつながっていて、

表立って積極的に関わっていくかどうかが違うだけ。

直接殴りにいかなくたって、一方の陣営に差し入れを

したり陰からこっそり焚きつけていたりする人物も、

あるいはやめなよ!って仲裁に入ったり遠巻きに様子を

うかがっている人物も、みんなある意味ケンカの当事者

ではないかと思うのです(いじめだって傍観者も加害者だ

という見解がありますし)。

そんな風に考えるのは間違いでしょうか?

 

いつ日本が戦争をしかけられるかも心配です。

日本は旧ソ連の一部ではなかったしロシア語を話す人も

ほとんどいないけれど、ロシアの隣国で不凍港があって

第二次世界大戦のどさくさで北方領土まで占拠されて

きました。

日本がロシアの標的にならない保証なんてないわけです。

中国はごり押しで海から実行支配の手を伸ばしていて

韓国は政治のピンチのたびに日本バッシングをしていて

北朝鮮はとっくの昔に核を含むミサイルの射程に日本を

捉えていていつでも発射ボタンを押しそうな人物が国の

トップに座っています。

一概に近さだけが戦争をしかける基準ではないとはいえ

なかなかなご近所ラインナップに恐ろしくなります。

 

それに、

日本が戦争をしかけられたらアメリカに守ってもらう

ことになっているけれど、それって本当に現実化する?

アメリカが攻められても反撃という攻撃には参加しない

となっている(はずの)日本を守るかどうかなんて、

その時のアメリカに利益があるかないか次第じゃない?

アメリカ・ファースト!なトランプ政権は一旦後退しても

あの政権を民主的な政治で選んだアメリカ人の認識は

根本的には変わっていないように感じるし。

もし自分が(学の浅い?)アメリカ人だったら

日本の様々な側面への感謝や親近感より

リメンバー・パールハーバー!だったかもしれないし。

 

第二次世界大戦当時の日本には、戦争の放棄を誓わせ

なければと諸国に思わせるだけの異様さがあった

思います。

天皇のために・お国のためにとの統治と号令によって

絶望的な状況でも玉砕や特攻が美化され実行されたり

武器も尽きているのに逃走も降伏も考えずにまさに

死に物狂いで体当たり攻撃ができてしまったり、

敵国の捕虜になるくらいなら死を選べと説かれたり

捕虜になれば恥と地獄しかないと信じ込まされた

一般市民までが多く自死を選んだり、そういった

いまの日本人でもにわかには信じられないような

愛国心や忠誠心や妄信的な犠牲があったから。

そういうクレイジーな国民を二度と生み出されない

ため、日本人に根本的な意識から変わってもらうため、

荒療治のようなまったく新しい憲法が必要だと判断した

戦勝国の危機感もわかる気がするのです。

 

ですが、

そうして一新された憲法が少しずつ根付いてきて、

日本は生活や教育や価値観の様々な部分が欧米化・民主化

して、情報インフラも普及してきました。

第二次世界大戦を体験している世代は高齢化してきて

労働によって経済を回している人のほとんどが戦争体験を

していないという(平穏な?)国になりました。

銃や爆薬などもかなり規制されていて、治安も良く、

日常で暴力的な戦闘行為に巻き込まれることは確率的に

ほぼありません

負の感情をむき出しにすることを嫌い、知らない人にも

微笑みかけることができ、震災などの後の炊き出しでも

奪い合わず整列するような穏やかな国民性があります。

そんな現代日本ですから、仮にまた日本が国を挙げて

戦争の戦闘行為に積極的に参加して敗戦色濃厚な状況に

なったとしても、第二次世界大戦の終盤の頃のように

苛烈な愛国心に基づいて自己犠牲を伴う最後の猛攻を

残りの国民総動員で展開する・・・ということにはまず

ならない(というかできない)のではないでしょうか。

この国特有の根深い同調圧力と従順さを総動員して国民を

コントロールしようとしても、各自で判断できるだけの

思考の土台となる義務教育がかなり行きわたっているし

情報を完全に掌握・統制することは社会主義国の中国でも

困難なのですから、日本がこれから国のために国民に

命の自己犠牲を強いるのがまず難しいです。

狂信的で勇猛な攻撃に必要な攻撃性や闘争心を半ば強制する

だけの洗脳状態を植え付けるのも実質的には不可能に近い

思われます。

それこそ10年以上かけて教育と情報と文化を戦争向けに歪曲

していかなければならないからです。

他ならぬ日本がそんな方針を採用すれば完遂する前に国ごと

攻撃される可能性の方が断然高いですし、日本では少子高齢化が

ガツガツと進んでいきますから時間をかけるだけ戦闘に向いた

年齢層が減っていきますしね。

つまり、つまりですよ。

日本の憲法九条改正による戦争参画って、

いまならアメリカも大歓迎なんじゃないか?って話です。

 

勘違いしてほしくないのですが、バウナーは間違っても

戦争という殺戮大会に参加したいわけではないです。

ただ、それとは別に

モチロン人道支援などはやりますよ!と言いながら

戦争しません!日本はそういう国ですから!と叫ぶのも

なんだか思考停止にしか過ぎない気がしてしまうのです。

個人的には、

憲法九条を改正した方が良いともしない方が良いとも

煮え切らない複雑な心境です。

憲法九条が改正されていない今も後ろから戦争に参加して

いる気がするし、それなら戦争に参加しないという大義の

ために自国の兵士を殺さない代わりに苦しんでいる他国の

一般市民を見殺しにしかねないという現状も根本的にズレて

いるように思う・・・そうなると

そもそも戦争放棄って何?

そもそも戦争参加って何?という疑問に立ち返ってしまう

からです。

ああもう、戦争なんてなくなればいいのに!

紛争とか迫害とか差別とか侵略行為とかもろもろ

なくなってしまえばいいのに・・・!

 

なんで争わずにはいられないんだろう。

マザーテレサが説いたように、

みんなで家に帰って家族を幸せにすればいいのにな。

国とか抜きで、個人に戻ってさ。

人間は社会的な生き物です。

それぞれが単独で生きて子孫を残していくには、

人間は生き物としてあまりにも脆弱で。

だから寄りそって、支えあう。

個々が好き勝手に生きてしまうと種としての存亡が

危ういからこそ、近くに生きる影響が強いもの同士

同じ規範を守ることで秩序を保つようしてきた。

その秩序の単位が家族や部族や自治体であり、国。

国はいくつもあってそれぞれ違うから、利害が対立する

こともままあるのはわかるけれど。

自らを守るために他を侵すのは、集団でしか生きられない

人間の「集団を守る」という本能なのかな?

「集団を壊す」という本能に反する行動ではないのかな?

土地に根差した集団と集団の関係は、人同士とは違って

価値観が合わないから物理的に距離をとりますというわけに

いかないのが難しいところなのかな。

だったら、

一つの行動や意思をもとに動く集団として考えると

いまの「国」の形って規模が大きすぎやしないだろうか。

少し意思決定の方針を誤っただけでも影響が大きくて

軌道修正をするのが難しすぎる

国のリーダーだって人間だから誤ることもあるのに。

治安管理には今の国のサイズでもいいのかもしれない

けれど。

他国への影響力を考えるともっと小分けにして

一斉に行動できない方が暴走できなくて平和だと

思ってしまいます・・・素人の浅知恵でしょうか?

 

あなたはどう思いますか??

10人いれば10通りの考え方があると思います。

願わくば、

これを読んでくださっているあなたには

誰かを攻撃することを考える前に

身近な人を幸せにしようと思える人であってほしい。

贅沢を言えば、

そんな考え方を持つ人がどんどん誰かを感化して

同じ感性の人を増やしていってほしい。

ちょっとしまりがないですが(苦笑)

これがいまのところのバウナーの思いです。

 

今回も最後まで読んでくださって

ありがとうございました!

いつも以上にとりとめのない記事になってしまい

すみません、お疲れさまでした!

千里の道も一歩から!

また一緒に素敵な明日をつかみにいきましょう!

 

では、またねー!!